ちょっと遅くなりましたが、6日に「高杉晋作が潜伏した家」に行って来たので、簡単にレポートです。
福岡って、幕末の歴史にはほとんど出てこないので特に何もないんだと思ってましたが
実は、福岡市の中心部から少し外れた所に「高杉晋作が潜伏した家」があることを知り、さっそく行ってみました。
高杉晋作が潜伏した家・平尾山荘
福岡の女流歌人・野村望東尼の閑居地で、多くの勤王の志士たちが密会を重ねた「平尾山荘」。ここに高杉がやってきたのは、1864年11月のこと。
長州藩の俗論派から命を狙われ、10日間余り潜伏しました。
現在は公園となり、再建された草庵があります。
中に入ることもできるようですが、この日は外から眺めただけ。
野村望東尼と高杉晋作
※野村望東尼(Wikipediaから抜粋)幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士・浦野重右衛門勝幸の娘。
文政12年(1829年)、福岡藩士・野村新三郎清貫と結婚。
安政6年(1859年)、夫が亡くなり、剃髪して受戒。その後、福岡の南側の山村(現・福岡市中央区平尾)にあった自分の山荘に勤皇の士を度々かくまったり、密会の場所を提供したりする。彼女に便宜を図って貰った中には、勤王僧・月照、長州藩士・高杉晋作、熊本藩士・入江八千兵衛、対馬藩士・平田大江、福岡藩士・平野国臣、中村円太、月形洗蔵、早川養敬などがいる。
高杉が去った後、望東尼は志士をかくまった罪で佐幕派に捕らえられ姫島に流されますが、のちに高杉の命で救い出され、余生を下関や三田尻(現在の長府)で過ごします。
高杉の最期を看取り、辞世の句「面白きこともなき世を面白く」に続く下の句、「すみなすものは心なりけり」を詠んだのも望東尼とか。
亡くなった11月6日には毎年慰霊祭が行われており、この日がちょうど当日。
ただ、あいにく午前中に雨がぱらついていたので、胸像はテントの中にありました。
今まで全然知りませんでしたが、調べてみると、高杉との関わりが深い「野村望東尼」と、通りに名がついているほどの「平尾山荘」。
あまり知られていない、福岡の幕末スポットでした。