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龍馬街道トップ龍馬街道トピックス【下関】高杉晋作ゆかりの地、散策レポート!

龍馬街道トピックス

動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。幕末そして、龍馬と長州の繋がりを考える上で、最も重要な人物の一人。高杉晋作。
今回は、長州が産んだ幕末の天才の足跡を辿ります。


1.東行庵
2.東行記念館(高杉晋作の記念館)
3.奇兵隊陣屋跡
4.長府功山寺・長府博物館
5.長州砲台跡(みもすそ川公園)
6.青春交響の搭
7.日和山高杉晋作像
8.桜山招魂社
9.奇兵隊結成の地・白石正一郎宅跡
10.高杉晋作終焉の地


高杉晋作(たかすぎ しんさく)

shinsaku_takasugi2天保10年8月20日[1839年9月27日] - 慶応3年4月14日[1867年5月17日]
長州藩士。幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。

長州藩士高杉小忠太(家禄二百石)の長男として萩城下に生まれる。
藩校明倫館に学ぶ一方、松下村塾で吉田松陰に入門したのを機に希代の革命戦略家として頭角をあらわす。文久二年(1862年)には幕府貿易視察団に加わり清国上海渡り、ヨーロッパの半殖民地と化した街を見て衝撃を受ける。
文久三年6月、下関を外国艦から防備するため奇兵隊を結成。奇兵隊は武士以外でも「志」があれば入隊を許した画期的な軍隊となる。
元治元年(1864年)8月には、四国連合艦隊の下関砲撃事件の戦後処理にあたり、また同年12月には長府功山寺で挙兵し、藩論を倒幕に統一。さらに下関開港・薩長同盟締結を実現。慶応二年(1866年)には、奇兵隊などを指揮し、長州再征軍(第二次長州征伐軍)を小倉口に撃退。
慶応三年4月14日、下関で結核のため病没。
奇兵隊陣営近くの吉田清水山に埋葬された。享年27歳と8ヶ月。





東行庵

晋作の墓や陶像、おうのさんの墓、白石正一郎の墓などがある。
長州の志士の聖地と言っても過言ではない。p1030010
▲高杉晋作を初め、多くの奇兵隊関係者や長州の志士が眠る東行庵。

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▲高杉晋作像。叶うなら龍馬にも会いたいが、高杉さんにも会ってみたい。銅像ではなく、陶像だ。

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▲高杉晋作の墓。志半ば、27歳と8ヶ月の人生はまさに雷電風雨の如し。龍馬が暗殺されるちょうど半年前、結核で亡くなった。

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▲晋作の墓の少し下に、晋作を支え続けた妾、おうのさんのお墓がある。晋作没後出家して梅処尼と名乗り、東行庵初代庵主となった。

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▲東行庵。もともとは山縣有朋が建てたもの。

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▲そして、有名な高杉晋作の辞世の句。「面白き こともなき世に おもしろく」。かっこえいぜよ!


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▲すこし離れたところに、幕末の志士を支えた豪商・奇兵隊士、白石正一郎の墓もある。龍馬もかなりお世話に成っている。商人でありながら命がけで志士を援助した。長崎の小曽根さんもそうだがこの人達の国を思う心にいつも感動する。

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▲東行庵の名物。晋作まんじゅう。3色あるが、この「しそ」味の香りと塩加減が最高!ぜひお試しあれ。

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東行庵
住所:山口県下関市吉田1184
電話:TEL 0832-84-0211(代)


東行記念館

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▲東行記念館のパネル展が行われていた部屋。残念ながら、二階の展示室が改装中だったため、一階の部屋での臨時のパネル展を見学。リニューアルオープンは命日の4月14日だそうだ。

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▲高杉晋作の足取り。移動距離は龍馬ほどではないが、上海に行っている点が、異なる。ところでここで一つ、取り上げておきたい事実がある。それは、東行庵の展示品270点を萩市がだまし取ったとされる報道があることだ。真実は分からないが、高杉さんが悲しんでいることは間違いない。

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東行記念館
住所:山口県下関市吉田1184
電話:TEL 0832-84-0211(代)
休館日:月曜日
営業時間:8:00~17:00
※事前に電話にてご確認ください


奇兵隊陣屋跡

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▲東行庵から、徒歩10分程のところにある奇兵隊陣屋跡。ここで武士も農民も商人も軍隊の調練を受けたのかぁ。

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長府功山寺・長府博物館

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▲長府功山寺にある高杉晋作挙兵の像。元治元年12月15日(1865年1月12日)に長州藩俗論派打倒のためクーデターを起こした。回天義挙とも。これに端を発する長州藩内の一連の紛争を元治の内乱という。詳しくはWikipediaへ。ちなみに功山寺仏殿の裏には、三吉慎蔵の墓もある。

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▲功山寺の隣にある、長府博物館の様子。2010年2月2日(火)~12月26日(日)まで龍馬コーナーが解説される。長府博物館には『龍馬愛用の飯椀と湯呑』『新政府綱領八策』『遺言状』『俚謡』の4点が所蔵されている。

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功山寺
住所:山口県下関市長府川端1丁目2−3(下記地図参照)
電話:083-245-0258

長府博物館
住所:下関市長府川端1丁目2-5(下記地図参照)
電話:083-245-0555
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)
     祝日の翌日
     年末年始(12月28日~1月4日)
     ※その他展示替えなどで臨時休館があります
入場料:常設展示  カッコ内は20人以上の団体料金
      大   人 200円(160円)
     大 学 生 100円(80円)
     ※18歳以下の方、高等学校・中等教育学校と特別支援学校に在学の生徒、
      70歳以上の方、下関市内及び北九州市内に居住する65歳以上の方、
      障がい者の方は無料



長州砲台跡(みもすそ川公園)

久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃。翌年8月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため現れた。海峡の最もせまい所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊された。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕(かいこく・とうばく)へと転換し、明治維新を実現する原動力となったのだが、当時あれほど恐れられていた外国しかも四カ国を相手にするなんて高杉さんはやっぱりすごい。詳しくはWikipedia(下関戦争)へ。

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▲本州と九州を結ぶ関門橋のたもとにある、長州砲壇ノ浦砲台跡。源平合戦最後の戦い、壇ノ浦の戦いがあった場所でもある。八十斤加農(カノン)砲というらしい。迫力ありすぎ。うち一台は、100円を入れると、馬鹿でかい発射音と煙がでる(笑)

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▲写真に写っているあたり(関門橋より東側)は壊滅。火の海だったらしい。

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みもすそ川公園
所在地:下関市みもすそ川町1番(下記地図参照)
アクセス:JR下関駅からバスで12分「御裳川」バス停下車すぐ
電話:083-231-1350(下関市観光振興課)


青春交響の搭

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▲下関市唐戸あるかぽーとにある、「青春交響の搭」。この刀の切っ先をモチーフにした搭は、左が高杉晋作。右が我らが龍馬を現しており、それぞれレリーフが入っている。確かに、龍馬と晋作の出会いは日本の運命を変えたのだ。

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場所は、下記地図参照


日和山高杉晋作像

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▲「高杉晋作像」青春交響の搭から歩いて10分ほどの小高い山の上、日和山公園にある。

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場所は、下記地図参照


桜山招魂社

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▲元治元年(1864年)1月、高杉晋作の発議によって創建された招魂場で、慶応元年(1865年)8月には社殿も造営され、日本で最初の招魂場と言われる。
当初は、下関戦争で戦死した奇兵隊士を弔うものだったが、四境戦争・戊辰戦争の戦死者や、吉田松陰、久坂玄瑞、山縣有朋なども加え391柱の志士が祀られている。
この招魂場の特筆すべき点は、偉大な指導者吉田松陰から奇兵隊小者弥吉といった名もない者にいたるまで等しく祀られていること。これこそが、武士・町人の身分を超え組織された奇兵隊の精神をあらわしている。

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▲文久三年(1863年)8月18日の政変で京を追われた七卿もこの桜山招魂場に立ち寄っている。詳しくはWikipedia(七卿落ち)へ。

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桜山神社
住所:山口県下関市上新地町2丁目6−22(下記地図参照)
電話:0832-22-6735
Web:明治維新の志士を祀る わが国最初の招魂社「桜山神社」



奇兵隊結成の地・白石正一郎宅跡

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▲下関駅西口を出て国道沿いに3分ほど歩いて行くと、中国電力の駐車場の角に「高杉晋作奇兵隊結成の地」「白石正一郎宅跡」の碑がある。白石正一郎も熱い人だなぁ。
今は埋立てられているが、当時は直ぐ目の前が船着場だったんだろう。龍馬もなんども着ていたところだ。白石正一郎、詳しくはWikipediaへ。

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高杉晋作終焉の地

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▲高杉さん・・・・!

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場所:下記地図参照


高杉晋作が大活躍した、下関。
龍馬にとっても、お龍さんにとっても、とても重要な場所だ。
もし、下関に行く機会があれば、ぜひ高杉さんゆかりの地も回ってみてはいかがだろうか?

アクセス


より大きな地図で 高杉晋作ゆかりの地マップ を表示

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▲おまけ、夕焼けの関門海峡。

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この記事へのコメント

  1. Tweets that mention 【下関】高杉晋作ゆかりの地、散策レポート! | 龍馬街道 - みんなで作る・育てる坂本龍馬ポータルサイト -- Topsy.com さん / 2010.1.27 - 09:50  

    … This post was mentioned on Twitter by 黒澤正明 and 坂本龍馬, S.Takada. S.Takada said: すばらしい資料をありがとうございます。「桜山招魂社」のキャプション、最後の2行にジンとくる。 RT @ryomasakamoto …

  2. かすみ さん / 2010.2.16 - 23:48  

    山口出身なんで写真懐かしかったです。ただ1つ訂正を。「ももすそ側」ではなく「みもすそ川」ですよ。

  3. ヨシトミ さん / 2010.2.17 - 00:46  

    >かすみさん
    ご指摘ありがとうございます!!直ちに修正しました!
    私下関にも住んでいたのに・・・お恥ずかしい限りです(笑)

  4. 満尾 さん / 2010.5.9 - 21:14  

    今日は14時過ぎから博多を発ったからゆっくり見て回る暇が無かったのですよ。。
    なんせ、今日は日曜日ですから20時迄にはなんとしても帰らなきゃ行けませんからね。
    近いから天気の良い週末はいつでも行けますから、今度はゆっくり見て回ります。

  5. なめぽ さん / 2010.5.9 - 21:21  

    写真盛りだくさんで下関出身としては嬉しいのですが、やっぱり「みもすそ側公園」じゃなくて「みもすそ川公園」なのですよ……。
    ちなみに最初の見出しのところね。

  6. ヨシトミ さん / 2010.5.9 - 21:48  

    なめぽさん
    失礼しました!!直ちに修正しました。すみません。

  7. baisho さん / 2010.5.10 - 19:20  

    はじめまして!
    私も下関出身で、高杉の大ファンです。
    私も高杉讃歌のブログを書いています。
    こちらのブログを見て、また頑張ろうと思いました。

  8. ヨシトミ さん / 2010.5.11 - 09:44  

    >baisho さん
    はじめまして!
    ブログ拝見しました。高杉さんの情報満載ですね〜。
    下関に、「幕末維新村」ができるそうですね。
    http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/389290/
    また取材に行ってみたいと思います。

    今後ともよろしくお願いいたしますね〜。

  9. たかりん さん / 2010.9.26 - 22:40  

    はじめまして!
    ブログ拝見しました。
    高杉晋作大好きです。
    高校まで厳島神社の近くに住み、今は、東行庵の近くに住んでいます。
    日和山公園・桜山神社何か懐かしいですね。
    厳島神社で太鼓叩いたことありますよ~
    でも東行庵に行った事ないので時間があれば歩いてみます。

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